アメッコ市の由来

こんにちは。
今日のブログではアメッコ市の由来についてご紹介します。
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アメッコ市の起源は400年前の天正年間にさかのぼると云われます。かつては旧正月12日に行われる小正月行事でしたが、いつしか2月11・12日におこなわれるようになりました。
明治期には小野儀助の日記(明治25年2月11日…旧1月13日の条)にこんな記述があります。
中町市十七日市を繰上げたり。あめ町也
この頃には現在とほぼ同時期に、市で飴が売られるようになっていたことがうかがえます。大館の冬の風物詩ともいわれる枝アメの並ぶ風景が見られるようになったのは昭和20年代、観光行事となったのは昭和40年代です。

昔、農家の主婦が甘味料として米でアメを作り、餅につけて食べたものを、旧正月の行事としてこの年の豊作を祈願するため「ミズキ」の枝にアメをつけ、稲穂のかわりに神前に供えるようになりました。農家以外の人々も健康と幸福を願い、この日にアメを食べるようになり、このアメを農家の主婦が町で売るようになったのがアメッコ市の始まりと云われます。

・・・この日に飴を食わぬと蛆になる・・・

・・・その年風邪をひく・・・

昔からの言い伝えを聞き、村々から多くの人が大館のマチに飴を買いに出かけます。買ってきた飴は塩とともに神様に供え、食べるときも塩をつけて食べたそうです。

かつて子どもたちは神に供える塩を少量の紙に包んで、訪れた一軒一軒にそれを置いていきました。そして、わずかなお金をもらっていたようです。

祝いの塩コ、なめれば砂糖コ
アメコに塩コ、なめれば福の神

家を回る子どもたちはこんな歌を口ずさんだそうです。

また、こんな伝承もあります。旧正月12日には山人が里におりてアメを買いに来て、12日のアメッコ市の日はきまって吹雪になると云われてきました。それはなぜか?山人が自分の足跡をかくすためだと考えられてきました。
田代岳に祀られる白髭大神(しらひげおおみかみ)がアメを買いに来るという伝承は、アメッコ市の風習と結びつき現在では「白髭大神巡行」がおこなわれています。

年が明けると、街にはミズキにアメやお札を飾り付けた枝アメが少しずつお目見えします。枝アメにつける飾りアメを作るのは、大館菓子協会の会員です。毎年11月下旬から製造が始まり、この桜色のアメはその一部!現在市内各所で枝アメの制作が始まっています。
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アメッコ市は平成29年2月11・12日の開催です。
皆様のお越しをお待ちしております!

スタッフ S


【参考文献】
『大館市史 第四巻』 昭和56年、大館市史編さん委員会
『大館の歴史』 平成4年、大館市史編さん委員会
『もうひとつの秋田』平成26年、アートNPOゼロダテ

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