おおだて神社めぐり〜鹿戸野沢神社編〜

こんにちは。
先日、とある神社を目指し大館市の白沢を訪れました。

神社へ向かう途中、とうに刈り終えた田圃には薄く氷が張っていました。陽光を鋭く反射している、その様子に見惚れます。


田圃の間を抜けていくと…道の突き当たりに鳥居を発見。ここが今回の目的地。

鹿戸野沢神社

kadonosawa_03
兄頼朝に追われ、頼っていた藤原泰衡にも攻められ蝦夷へと逃げた源義経の一行に遅れをとった家臣の亀井六郎重清が、義経の後を追う途中にこの地のケヤキの洞穴に、兜の守りとしていた一寸八分の観音像と秘巻を納めて去ったと言われています。その後里人が発見し、堂を建てて祀ったのがこの神社の起こりとされています。
亀井六郎重清は観音像と秘巻を納めたのち、義経最期の衣川の戦い(1189)で兄の鈴木三郎重家や片岡八郎、鷲尾三郎、増尾十郎、伊勢三郎、弁慶らの郎党と奮戦するも、最後は兄と共に自害したと伝えられます。

鈴木三郎重家の弟亀井六郎、生年23、弓矢の手並日来人に知られたれども、東の方の奴ばらは未だ知らじ。初めて物見せん
(『義経記』より。衣川の戦いにおいて泰衡軍に向かう亀井六郎の言葉。)


齢23の若者が御守りとしてきた観音像を納め、主のあとを追って戦に向かったこと。今に残る云われを調べていると、ひとつのストーリーが頭の中に描かれていくような感覚がおとずれました。

帰り際にふと鳥居を見ると、裏に銅板が貼られていました。鳥居は2年前に奉納されたようです。地元のひとがこの神社を重んじてきたことが伝わってきます。


スタッフ S

関連記事

ページ上部へ戻る