おおだて神社めぐり~独鈷大日堂編~

今年の神社はじめは独鈷から。雪の降りしきる中、ある神社を目指しました。


古くは「金剛山大日堂」と称し、第26代継体天皇(在位507-531)の勅許を得て創建されたと云われています。
明治政府の神仏判然令により神社神道形式に変わりましたが、拝殿の造りや現在まで継続される加持祈祷など神仏習合時代の様相が強く残る神社です。
ここは独鈷大日神社。別称は独鈷大日堂、3社の大日堂(独鈷・長牛・小豆沢)の一つです。
tokkodainichi_03
大日堂創建に係るだんぶり長者物語は、この独鈷からはじまります。
独鈷はだんぶり長者物語に出てくる夫婦の妻・徳子の出生地。
両親を失いながらも正直で謙虚に生きる徳子の夢枕に大日様がお立ちになり、お告げをしました。お告げの通り小豆沢(鹿角市)にたどりつくと働き者の若者に出会い夫婦になりました。夫婦が大日神に祈願して生まれた娘・吉祥姫が、のちに両親の死を受けて大日堂を創建した、と云われています。
tokkodainichi_04
さて、だんぶり長者伝説の霊泉発見の物語を聞いた第44代元正天皇は、名僧行基に下向を命じました。
行基が独鈷に宿泊の時、夢枕に貴人が現れ一本三体の大日如来像の彫刻を催促したと云われます。小豆沢にて、その貴人が吉祥姫の子・五ノ宮皇子の化身であったと悟った行基は、国司に詔勅であることを告げ三体の大日如来像を彫り、九間四面の御堂を再建したのが神亀2年(725年)の丑年とされます。

小豆沢…ア ・  長牛…バ ・ 独鈷…ウン

の三つの大日堂にそれぞれ一体ずつ大日如来像を安置しました
小豆沢のと独鈷ウンは向かい合い、阿吽の一対になっています。
tokkodainichi_05
神社の裏手には、浮島龍神社と浅利氏が築城した十狐(とっこ)城址があります。城址は数キロに及び、空堀とそれによって区画された曲輪の形が残っているようです。





し か し !
この日は今冬一番の寒波が来ていたので…さすがにこの雪では…と安全を優先して断念。
tokkodainichi_06
しばらくの間、独鈷の地に静かに降る雪を眺めていました。

スタッフ S

関連記事

ページ上部へ戻る